2016年6月18日土曜日

今日の出会い明日の結婚|出会い相談結婚


恋愛結婚彼氏 六本木  雑誌記載OBERON    



六本木の雑誌掲載のオベロンです。
恋愛・出会い・結婚・復縁が終われば、夫婦の悩みの人生は避けたいものです。
全ては恋愛から、貴女の一生を決める判断を慎重にです。
現在はご夫婦の悩みが非常に多いです、綺麗事ではなく真剣に考えないといけません、
人生は長くなり健康も増したのです。
貴女に最適な男性を、貴女を不幸へ導かない男性を、妥協はいけません。
慎重に考えているつもりでも、焦るのです。
迷ったらぜひどうぞ・・・・。
***********************************************
対面カウンセリングと電話相談があります、
共にお電話で予約をお願い致します。
サロン 東京都港区赤坂9-6-28 
アルべルコ乃木坂
ご予約受付時間 AM10:00~PM23:00
営業時間     AM11:00~PM24:00
詳細や料金は自社サイト下記から参照下さい。

(宗教・医療・販売は致しません)
***********************************************

コラム
1960年代の作品だと記憶していますが、遠藤周作氏「私が・棄てた・女」は、恐らく若い頃は読めない作品だし共感も意味も受け付けないですが、ある程度生きると深く息苦しい誰にでもある軌跡を削る音が聞こえる感じがします。
遠藤氏は宗教的根底をいくつかの作品で深く刺してきますが、金のない大学生が田舎出の無垢な女性に同情させ欲望を果たし捨てる、でも女性は数少ない思い出を愛情に変え、ひたすら待ち続け事故に遭い亡くなる。
男性はどこかにトゲの様な引っかりを意識しながら己の有利な話へ動いていく、女性は病院で働きながら献身を続け生き続ける。
作品も秀逸ですが、巻末の「解説」を書いた武田友壽氏の文章は素晴らしい、彼曰く「運命の連帯感」という言葉で彼女の人生を貫いていたものを解説します。
「この人生で必要なのはお前の悲しみを他人の悲しみに結びあわすことなのだ」と、これは〈運命の連帯感〉にほかならない。
作品上で彼女の一生が、他者のために尽くした人生であり報われずが我々に重く悲愴を感じさせる。
主人公が、「しかし、この寂しさはどこからくるのだろう。 もし、ミツがぼくになにか教えたとするならば、それは、ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということなのか。 寂しさは、その痕跡からくるのだろうか。 そして亦、もし、この修道女が信じている、神というものが本当にあるならば、神はそうした痕跡を通して、ぼくらに話しかけるのか。しかしこの寂しさは何処からくるのだろう」 自分への言い訳とぬぐい去れぬ罪悪感、いくつもの思い出の中に浸れる歳になれば読める作品でしょうね。
患者が語る「苦しいのは、体のことじゃなくってよ。 二年間のあいだにあたしはやっとわかったわ。苦しいのは……誰からも愛されぬことに耐えることよ。」

このような作品に巡り会えるも文中の言葉であれば、「もし、神というものがあるならば、その神はこうしたつまらぬ、ありきたりの日常の偶然によって彼が存在することを、人間に見せたのかもしれない」
 『物足りん』の心を捨てられるか?? 
自分の欲望を絶ち切り、他者との比較を消滅させ、恥ずかしいと思う心をなくせれば、人は如何に楽に生きられるかは想像出来ます。
 精神世界を真剣に勉強なされている方も一杯居ますが、『悟り』 『真理』を掴みたい一心で、己で『悟りとは』を創造し目安を作り、無量無辺であるべきものを遠ざけている場合もあるでしょう。
それもまた、欲でもあり、自己探求を難しくしていると言えます。生きる事は、どこまで行っても最終的に自己探求でしょう・・・。 
判っていても、理解しても、出来ないのも事実。 自己を他者との比較においている間は難しいのです。 根源的な欲望である『自己愛』から来るものです、この自己愛が己の理想を高くしたりして、或いは他人を馬鹿にしたりしていると言えます。 ;無明の自己と仏教では云うのですが、己が考えている自己は、所詮複数の外部要素から来る思考を自分の思考と錯覚し、思い込みの世界。 それに気付く事が無明を解脱する事、そこから我自己探求と言えます。
;『おのれがいまの所有所住は、前業にひかれて真実にあらず。ただ正伝仏法に帰敬せん、すなはちおのれが学仏の実帰なるべし』 正法眼蔵より